営み続けることは、「人とつながる未来への想像力」安政も昭和も令和も、変わらずここにあります。
- harayama0
- 11月7日
- 読了時間: 5分

関 圭吾さん
Keigo Seki
土庄町出身/1995年入社/入社後、研究室・製造現場(約1年)・品
質管理などを経て本社品質保証部勤務の後、2024年4月から小豆
島工場事務部 部長。
坂本 貴志さん
TakashiSakamoto
小豆島町出身/2004年入社/入社後品質管理部において、製品分
析・原料分析・農薬分析、ごま油の充填管理などを経て、工場の安
全な労働環境整備に従事。
山本 隼汰さん
Hayata Yamamoto
土庄町出身/2023年入社/事務部経理課/大学時代は、体育系学
部にて運動栄養学を学ぶ。
だれもが知っている持ちやすい形で黄

色キャップの純正ごま油。かどや製
油株式会社がここ小豆島で1858年から160
年以上、小豆島で生産し続けている。小豆島
の農家が、信頼と繋がりで菜種やごまを持ち
寄り搾油したのが創業の原点。島産品の素
麺「島の光」にも使われる、香りが高く美味
しいかどやの純正ごま油は、太平洋戦争を経
て、1965年に初の家庭用商品「正胡麻油」
の販売を開始すると、瞬く間に生産量が拡大
し、今や世界一の純正ごま油メーカーに。永
きにわたるごま油を通じた“営み”に向き合う
小豆島出身の3名に、島のこと、ごま油のこと、
小豆島のミライについて話を伺った。
1995年に入社し、昨年4月から小豆島工場
に勤務している関圭吾さん。就職先として地元
「小豆島」というところが、決定のポイントに?

「2つのつながりから、です。恩師からお声
がけいただいたつながりと、生まれ育った場
所や人とのつながりです。自分のルーツでも
ある小豆島で働けるっていうのは、大きな理
由の一つ。帰ってきて思うのは、歳だからか
もしれませんが、今まで当たり前だった鹿島
の海の景色を改めてキレイだなあと。かどや
は、実際のところ、入社するまで印象が薄い
んです(笑)。こんなにも大きないい会社だっ
て、私、知らなかったんですよね…。工場見学
に小学校時代に来たかどうかも記憶が定か
ではないくらい。工場の前の海で釣りをして
いたのは覚えてるんですけど。正直、特段意
識はしていませんでした」。
島外の大学を卒業後、2023年に島に戻り
入社した山本隼汰さんも、こう語る。
「大学で小豆島を紹介するときに、オリーブ
やそうめんよりも、ごま油の話のほうが、伝わ
りやすかったんです。僕は工場から近い、土


庄中学校だったんですけど、匂いが来た時に
はああ、天気が悪い、なんて話をしていまし
た。関さんと同じように、島を出てからの方が
印象としては強いんです。でも、それまではか
どやに接する機会はなく、工場に近づいたこ
とも、来たこともありませんでした。」
2004年に入社就職した坂本貴志さんは、祖
父母が素麺を作っていて、ごま油にはなじみが
あったという。「我が家は今思えば、かどやのご
ま油があり、素麺に塗っていました。この匂いは
港でも同じ匂いがしてました。でも入社するまで、
港から工場へ向かう道に入ったことがなかった
(笑)」。
入社前までは、土庄港そばにあるかどやの
工場や、ごま油のつながりをあまり意識してい
なかったという3人が今、160年以上続く営み
に向き合う毎日の中で感じていることは?
「今、この工場で働く私たち従業員の8割以
上は小豆島出身です。パートさんやアルバイ
トさんを含め約200名、その家族まで考える
と、1000人近くの島の人たちの暮らしにかど
や製油が関わっていることになります。島には
『肥土山の山本さん』と言えば『あのおじい
さん、知ってるよ』というように、地縁的なつ
ながりが強いですよね。そのつながりが『かど
やの山本さん』として受け継がれ、自然と協
力が生まれる。良くも悪くも悪いことはできな
い(笑)。島で暮らす人たちがいる団結力って
いうのは一つの特徴かなとは思いますね。そ
ういった意味では地域とは密接な関係でやっ
ていけたら。島で働いていて暮らす人たちが
健康で、自分たちの島を誇りに思えるような
場所であってほしい」(関さん)。
「先日、工場で、ゴミの分別を間違えてペット
ボトルの箱に缶を入れてしまったんです。数時

間後に気づいて戻り再び箱を開けたら、自分
の間違えた缶を含めて、ひとつ残らず綺麗に
分けられていました(笑)。支給されている制
服を掛けるロッカーのハンガーが、同じ方向に
先輩が全部直したら、後の人はみんな同じ方
向に並べるんです。もしかして知り合いかもし
れない、制服を洗う島のクリーニング屋さんを
慮って、回収時に楽ができるように、と。小豆
島の人はちょっと控えめで、多くは語らない反
面、結びつきが強いからこそ、自分の後に続く
仲間の行動を想像しながら、何かあった時に
は団結して協力する姿勢があります。このつな
がりを前提にした想像力から、暗黙のうちに
次の行動、団結へつながっています。当然、丁
寧な製品づくりや品質管理にも影響していま
す。小さい市場かもしれないけれど、僕が入っ
た時から業界のトップシェア。これからも常に
トップを走り続けるための努力をしていければ
と思います」(坂本さん)。
普段は見過ごされるような些細なことかも
しれない。しかし小豆島での営みの中で、次
につながる人を想う力が基礎となって繰り返
される姿勢と行動の積み重ねは、確実に次の
世代の営みのタネになり、花を咲かせ、実を
結ぶ。江戸時代の小豆島の農家さんが持ち

寄ったごまから油を搾るという小さな営みも、
地縁のつながりから助け合い、思いやり、次
の世代を想う「未来の想像力」がゆえに、時
を超えてその想いが共同体やコミュニティを
支え、“かどや製油”として継承されてきてい
る。令和の今、小豆島の工場で働く人にも、こ
の「未来への想像力」は創業時の“角屋製油
所”から引き継がれ、166年の時を超えて確
かに息づいている。
最後に、一番若い山本さんに小豆島のミライを伺ってみた。
「島から離れていた時、小豆島は帰ることが
できる場所としてあり続けていました。島の外

に居る人たちが、ふとした時にいつでも帰って
来られる場所であり続けるために、小豆島で
今、営み暮らす僕たちが、何ができるか?
次は私たちの番だと思っています」。





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