小豆島には、どこにも負けない素晴らしいものがある
- harayama0
- 11月7日
- 読了時間: 7分
有本裕幸 | 二十四の瞳映画村 専務理事
映画『二十四の瞳』に出演した女優・高峰秀子の生誕100年目を迎える今年、映画や原作の余韻が残ってる世代からZ世代やインバウンドに客層は移行し、いまや予約から情報発信まで、スマートフォンが旅
の中心に。「二十四の瞳映画村」と「岬の分教場」の運営を通じて小豆島の魅力造成の
トップランナーとして走り続けている有本さんに、まずは小豆島の現状を聞いた。

「多様な価値観に対して響くものが求めら
れる時代になってきた。オリーブも10 0 年

以上たち、昭和2 9年に「七人の侍」を抑え
てキネマ旬報ベスト・テン邦画第1位だった
『二十四の瞳』も公開から70年以上が経ち
ます。もう昔の名前では来てくれない。全く
作品を知らない人たちを相手にしているわ
けです」。
以前ホテルの再生事業に携わっていた有
本さんが心を動かされ施設の運営に関わる
ようになったのは、72年前に美しい自然を
背景に壺井栄が描いた「二十四の瞳」に込
めたメッセージを含めての、「二十四の瞳」
が持つ潜在力だ。
「「二十四の瞳映画村」は作品を知っても
らうための場所。SDGsで言われる“ 貧
困・不平等をなくし、平和・公正をすべての
人に”などはすでに作品が語っています。作
品は知らなくても、ここの映画村に来てくれ
る人を維持できれば、壺井栄が描き高峰
秀子が演じ、木下惠介が撮ったこの作品の
メッセージを知ってもらうということは可能
だと考えたんです。でもそれを唱えて施設が
成り立つほど甘くない。作品を新しい世代
へ浮上させようと思ったら、島の皆さんと一
緒になって小豆島が浮上しないと無理だと
理解し、作品のメッセージのように残してい
くものと、環境の変化に合わせて変えない
といけないものがあることを常に念頭に置い
て取り組みを始めました」

全ての作品は風化していくものであること
は島も自治体も施設も一緒。漫然と構えて
いたら、時代に置いていかれ無くなっていく。
だからこそ二十四の瞳映画村と小豆島は一
心同体だと有本さんは話す。

「新しい取り組みとして瀬戸内国際芸術
祭の作品も展示し、SNSでの発信を意図し
て、ノスタルジックな昭和の雰囲気で写真
が撮れるように演出する、映画人のトークイ
ベント等、映画村のコンテンツを増やし小
豆島の魅力を造成し発信していく。基盤も
大切です。小豆島観光協会のメンバーとし
て、観光ビジョンの策定から観光地域づく
り法人(DMO)の立ち上げもやる。同時に、
映画『二十四の瞳』で言うと、今まで木下
惠介監督、高峰秀子さんの映画村の原点と
もいうべきフィルムを一切使っていなかった
こともあり、松竹に乗り込んで版権の話か
ら、365日毎日映画をかける話など交渉に乗
り出しました。島全体の魅力造成や発信は、
島全体の経済に繋がり、ひいては壺井栄や
作品を知ってもらうことにもつながる。いか
に小豆島を盛り上げていくかが生命線であ
るという視点を持って活動をしています」。
小豆島フィルムコミッションは、その際た
る取り組み。最近ではダイハツのCMから
映画「からかい上手の高木さん」など枚挙に
いとまがないが、中でも「小豆島」の名が一
気に広まったのは直木賞作家・角田光代の
原作小説を、成島出がメガホンを取り、井上
真央、永作博美の主演で映画化した『八日
目の蝉』が貢献するところは大きい。日本ア
カデミー賞で10冠、台湾をはじめアジアでも
公開され、人気はもちろん、評価も高い。
「読売新聞の夕刊に載ってる時に、小豆

島が舞台で、絶対映画になるという噂が
あったんです。ロケ地は小豆島にならない可
能性も。でもチャンスがあるんだったらそこ
に自分から乗り込んでいかなかったらできな
いと思い、小豆島で映画村で撮ってもらお
うと映画会社に直談判です。 “このおっさ
んはなんだろう”って思ったはずです(笑)。
制作費支援から農村歌舞伎や虫送りの撮
影支援まで自治体や島の皆さんにご協力い
ただけるように動きました。オープニングは
東京の劇場で、島のみんなを連れて行って
法被を来て映画と小豆島のプロモーション
もしました(笑)」。
有本さんらが尽力した映画化から早12年
の年月が経った今、美しい小豆島のロケー

ションが支える作品の聖地巡礼は国内客
のみならず、アジアからのインバウンド消費
を育て、今の需要に確実につながっている
といっても過言ではない。だからこそ台湾の
商談会でも、一番行きたい場所に挙がるほ
ど人気だ。一番の課題は?
「観光客は約7割が日帰り。車で島をすぐ
回れるっていう感覚かもしれません。しか
し1周回るだけで3時間はかかります。自転
車、トレッキング、島遍路などのコンテンツ
を楽しむならなおさら。“高松ではなく、島
に宿泊すればよかった…”と、なっても後の
祭りです。SNS受け、インスタ映えするよう
な「私だけが知ってる素敵な場所」がたくさ
んあるんですが、日帰りの限られた時間の

中だとどうしてもひと昔前の団体旅行と同じ
ルートをなぞるだけになる。だからこそ、昔か
らの主要な観光施設も一緒になっていかに
一人一人が小豆島の魅力を外に向けて日々
P Rしていくか。宿泊は消費の仕組みです。
外貨を稼ぎ、そのお金が地域の人のために
使われ、同時に次に呼び込むために使われ
ていく真っ当なサイクルが求められる時代
だからこそ、単価の高い消費の仕組み創り
には宿泊客を増やしていくことが不可欠で
す。人口が減っても、島の自分たちが自律的
で幸せな生活を送るためにも」。
小豆島の魅力創りのヒントは、外からの
力をうまく生かし、自分たちの活力や魅力と
して取り入れることにあると有本さん。思え
ば、古くは江戸時代に徳川家が新しい大坂
城の石垣積みを大名に命じた際に、小豆島
の石は大名から重宝された時期。石工はも
ちろん彼らの生活を支える多様な人々が島
に入り、島の文化と融合し醤油やそうめんな
ど今でも続く新しい島産品が生まれた。
「僕の地元である筑前小倉の細川藩は、

良質な石を小豆島から大坂へ切り出し運び
ました。その時のに”たまり醤油”の師匠と
出会い醤油作りを教えてもらい、また、お伊
勢参りの際には奈良の三輪素麺で素麺作
りを学んだそうです。どちらもきれいな水と
多くの塩田があり良質な塩があったからだ
と思いますが、あるものをうまく活用し、外
から新しい文化を入れて拡げるのに長けた
土壌なんです。それに倣って資本も含めて、
島外からの力を借りながら、うまく自分たち
の魅力を広げていくことができるはず。その
ためにも小豆島が今持っている潜在力を伝
えていくこと。また先人の人たちが作ってき
た土地で商売するって、持続可能な観光を
目指すのであれば、“俺たちが来てからうま
くいった”じゃなくて、何か困ったことがあっ
たら助けてもらえる地元地域の人との連携
や応援がなければできない。災害時は言わ
ずもがな。一時期はワーケーションだ、美
術館だ、ということもありましたが、取り組ん
ですぐに観光需要が増えたり、ましてや人口
が増えたりすることはなく、丁寧に地域に魅
力を伝え、その魅力を感じて関わってくれる
関係人口を、志高く増やしていきたい。小豆

島には、どこにも負けない素晴らしいものが
ある。現状に頬かむりして目をつぶれば、漫
然とやり過ごすこともできるけれど、申し訳
ないけどね、やっぱり誰かを信じて立てなが
らみんなで頑張っていく姿を見せたい。それ
が小豆島プライドです。プライドは捨てたら
ダメなんです。それが結果、映画の製作委
員会や観光協会の中で、まとめていく仕事
を引き受けてきたことにつながっているかな
あ…。ここは京都の東映太秦映画村さんみ
たいに大きくはないですけど、北大路欣也
さんが“これぐらいのサイズで自然と一緒に
なっていることは、すごく魅力的だ”って言っ
てくれました。私もそう思ってます。だって、
ここで映画村の海岸縁に座ってコンビニの
コーヒーを飲んでいるときが、なによりほっ
とします。多分20年後もね(笑)」。





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