子や孫の世代に小豆島の木桶仕込みの醤油を残すというのがミッション。それに繋がらないことは一切しない覚悟です。
- harayama0
- 11月7日
- 読了時間: 4分
山本康夫 | 醤油職人
Yasuo Yamamoto | soy sauce craftsman
1972年 香川県小豆島生まれ。約150年続くヤマロク醤油五代目。
大学卒業後、佃煮メーカーの営業職を経て2002年小豆島に戻り、家
業のヤマロク醤油を継承。小豆島の木桶による発酵文化としての醤
油を次の世代につなぐため、2012年秋より『木桶」の製造を始める。
木桶に使われる巨大なタガを使った「タガフープ世界選手権」などメ
ディアでも話題に。

「ヤマロク醤油」は、伝統的な醤油蔵

の中で、国内外問わず最も有名な蔵
元。小豆島内からも醤油業界からも一目置か
れ、「ヤマロクさんについていく」という人は数
知れず。それは、ヤマロク醤油5代目の山本康
夫さんが広い見識と分析を極めた戦略、そして
勇往邁進なる実行力による成果だ。
例えば、醤油を仕込む伝統的な容器「木
桶」を造る技術が途絶えようとする現実を受
け、山本さんは「孫やひ孫の代に木桶仕込み
の本物の醤油を残す」と決意。「木桶職人復
活プロジェクト」を立ち上げて最期の大桶の
桶屋から技術を学び、身につけた技術をシェ
アして新たな木桶職人を次々と育成。さらに
「木桶仕込み醤油輸出促進コンソーシアム」
を立ち上げ、木桶仕込みを行う全国各地の蔵
元と輸出を図り、木桶仕込み醤油の需要と価
値を一層高めている。結果、醤油前生産量の
1%にまで減少し、絶滅しかけていた木桶仕
込み醤油の需要は国内外で増加。数十年途
絶えていた木桶用の植林の再開が決めるなど、
革命を起こした。

山本さんは、小豆島の未来を「壊滅の一途
で、すぐに変化しないと手遅れ。変化しても手
遅れかもしれないが、望みはゼロではない」と
指摘する。小豆島は食品産業と観光業が主
要産業だが、いずれも不振。食品産業と観光
業の連携や自動化などが必要だったができて
おらず、給料水準が低く、人手不足が深刻に。
島外の人や異業種との連携、仕事のレベルの
向上、集約化して給料を上げる必要性も訴え
てきた。
そんな中、山本さんは10年以上前から次の

ビジョンを描いて一歩一歩実現させている。
「長年僕が掲げるミッション“子や孫の世代
に木桶仕込みの本物の醤油を残す”こと。そ
れに繋がらないことは一切しない。そして、看
板商品の醤油『鶴醤』を最高級ワイン『ロ
マネコンティ』同様にすると同時に、小豆島
を2大ワインの産地『ボルドー』や『ブルゴー
ニュ』同様の地位に押し上げる。すると、木桶
仕込み醤油を使ったつゆで食べるそうめんや、
醤油で炊く佃煮の価値も上がり、物流が向上
し、給料も上がり、仕事レベルが上がり、観光
客の受け入れ体制も好転し、良い観光客が生
産者のところに来てリピーターになり、持続可
能な経営が実現し、次の世代に継承される」
小豆島全体にも革命をもたらすべく力強く
行動を重ねる山本さんは、最後に念を押す。
「ただ僕だけじゃ小豆島の未来は壊滅。他の

人も今すぐ変化すれば、望みはゼロではない」。
小豆島の木桶仕込み醤油
小豆島で「醤油屋」が商売を始めたのが約400
年前。醤油を天然醸造させるために使っていた
のは木桶。木桶には長い年月をかけて育った
“菌”たちが代々棲み、醤油蔵は、先人からその
菌を預かりつないできました。その証拠が、こ
の黒々とした壁や木桶。現在、醤油製造用木桶
の総数は2020年での調査で約4700本。小豆島
にはその1/3以上があるといわれ、今も現役です
(「醤油醸造用木桶の使用実態に関する全国
調査」より)。
現在、木桶生産の需要は少なく、今後、日本か
ら醤油醸造の木桶はなくなってしまう可能性も。
木桶醤油市場は醤油流通全体でみれば約1.5%
と脆弱です。今や世界中から愛され世界無形
文化遺産に登録された「和食」の味と技術を支
える伝統的な木桶仕込みの醤油がなくなれば、
和食の味にも影響は確実。そこで、小豆島のヤ
マロク醤油が木桶醤油の市場拡大と、子や孫の
世代に木桶仕込みの本物の醤油を残そうと、木
桶製造技術の継承と人材育成を目的に木桶仕
込みを続ける全国の醤油蔵、流通、製桶所、料
理人、林業会社に声をかけ連携し、「木桶職
人復活プロジェクト」が発足。2013年から毎年、
小豆島で新桶を作り続けています。とにもかく
にも、まろやかで深みのある小豆島の醤油をぜ
ひ一度試してみてください。





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